●2002年10月 爆弾テロ
●バリ島の治安 一般論
●バリ島の治安 各論
●インドネシア旅行者・短期出張者のための安全対策
●1998-1999 政治不安 概況
●インドネシア経済危機と騒乱 in 1998
●インドネシア政治変動 in 1999
●写真でみる1999総選挙
●メガワティ派集会 1998.10
●私の印象 1999.1
日本国外務省海外安全ホームページ
2002年10月 爆弾テロ
<マスコミ各社特集>
読売新聞 バリ島爆弾テロ 毎日新聞 アジアのテロ事件 日経新聞 バリ島爆弾テロ 共同通信 事件現場 写真集
<経過> ( )内は情報源
10/12
土レギャン地区のディスコ、サリ・クラブで23時過ぎに爆発、炎上。 ディスコ近辺の渋滞で救急車なかなか近寄れず。 病院関係者、死者140人と発表。多くは、オーストラリア人。 サヌール地区のUSA名誉領事館近くの路上でも爆発。死傷者無し。 10/13
日日本外務省、注意を呼びかけ。
インドネシア:バリ島のディスコ等における爆発の発生について
http://61.117.201.17/info/info.asp?num=2002C476インドネシア警察長官、テロと断定。 USA政府高官、USAを標的としたテロとの感触を表明。 メガワティ大統領、死者182人、負傷者132人と発表。 オーストラリア首相、テロと非難。メガワティ大統領もテロとの見解。 駐インドネシアUSA大使、テロと非難。 ディスコ前の車に爆弾との見方。 英外務省、バリ島渡航自粛勧告。 ブッシュUSA大統領、テロと断定。 10/14
月日本外務省、海外危険情報を更新。
インドネシアに対する渡航情報(危険情報)
http://61.117.201.17/info/info.asp?num=2002T416小泉首相、インドネシアにテロ対策支援を表明。 国連安全保障理事会、全会一致で非難決議採択。 フィリピン、ASEAN+αの対テロ緊急会議を提唱。 マトリ国防相、アルカイダ犯行との見方を表明。 ブッシュUSA大統領、アルカイダによる犯行との見解を表明。 10/15
火邦人数人、連絡がとれない。 JTB、ジャルパック、15〜21日出発分のツアー中止。近ツリ続行。 オーストラリア、USAからの捜査協力スタッフ、バリに到着。 バリ州警察、パキスタン人から任意の事情聴取。 在日インドネシア大使館、被害修正発表。
死者181人。負傷者309人、うち日本人9人。在スラバヤ日本総領事館デンパサル駐在官事務所によると、 新たにひとりけがを負っていることがわかり、日本人負傷者は計10人に。 バクティアル国家警察長官、爆発は三段階と発表。 リヤミザード国軍指令官、実行犯はインドネシア人だが、 指揮をとったのは外国勢力、と語った。(読売10/17) 10/16
水ジャルパック参加の鈴木夫妻行方不明のまま。 在日インドネシア大使館内に、 情報サービスセンター(03-3441-4201)設置。 2度の小規模爆発の後に、車載の大規模爆発があった模様。 国家警察、3度目の爆発に使用された軍用高性能爆薬C4が 国外から持ちこまれた可能性に注目。 USA政府が事前にアルカイダ関与テロの危険を 複数回インドネシア政府に警告していた、とUSA紙報道。 車載爆弾による手口、9月の東南アジアテロ未遂に酷似。 インドネシア政府の対テロ強化に、国内イスラム勢力反発。 インドネシア各地で宗教紛争のイスラム急進派ラスカル・ジハード、解散へ。 JTB、ジャルパック、22日以降のツアーについて18日に決定予定。 HISは継続。 東南アジアのイスラム組織ジュマー・イスラミアの指導者バシル師、 事件への関与、アルカイダとの関係を否定。 警察当局、極めて強力な高性能爆薬RDXが使用されたとの見方を表明。 高性能プラスチック爆弾C4の材料となる。 警察当局、事件現場に IDカードが残されていたインドネシア人2人 (島外在住者)を集中的に捜査。 日本警察庁、国際テロ緊急展開チームメンバーを派遣。 DNA鑑定による被害者特定などを担当。 (読売) パキスタン南部カラチで、3件の爆発、小包爆弾。23人負傷。 (毎日、朝日) 10/17
木治安当局、 ジュマー・イスラミアの指導者バアシル師の強制捜査の検討を開始(10/16)。 (朝日) インドネシア有力紙テンボ、インドネシア情報当局者の話として、 実行犯は8人とみられ、すでにバリ島を離れた、 リーダー格のひとりは中東出身と報道(10/16)。 (日経/共同) バリ警察首脳、前項報道は当局が集めた情報に基づいている、と確認。 (読売) 国家警察、拘束中の容疑者2人を逮捕、 ロンボク島出身のイスラム教徒。爆破に直接関与の証拠は明らかでない。 (毎日) 国家警察、あと2人、逮捕する方針。 そのひとりは空軍を解雇された元軍人。爆弾の専門知識をもつ。 (毎日) フィリピンのショッピングセンターで連続爆発、 少なくとも2人死亡。 (毎日/朝日) 10/18
金国家警察、 ジェマア・イスラミアの指導者アブ・バカル・バシール師に 19日にジャカルタの国家警察本部に出頭するよう召喚状(10/17)。
2000年末のキリスト教会爆破事件などへの関与が判明した アルカイダのオマル・アルファルーク上級幹部(逮捕済)との関係を調べる目的。 (読売)バシール師、バリ事件の被害者は無実の人々であり、 我々イスラム教徒の敵ではない、と関与を否定。(毎日10/19) テロ防止に緊急政令。
国家警察長官直属の対テロ特別捜査隊を結成。 テロとの関連が疑われる市民を、令状無しに連行、7日間の拘置、 (取調が必要な場合は)360日間の拘束が可能に。 容疑者には、接見、黙秘権が認められない。 裁判所の許可無しに家宅捜索、盗聴もできる。 (読売)行方不明の鈴木夫妻のうち夫康介さんの死亡確認。(毎日10/19) 10/19
土国家警察、ジェマア・イスラミアの精神的指導者とされる イスラム法学者アブ・バカル・バシール師を逮捕。 師は出頭要請をうけていたが、18日に過労で入院していた。(読売) 10/20
日現場前で追悼式典。オーストラリア各地でも追悼集会。(読売) 警察、死者数187人と発表。(読売) 行方不明だった鈴木夫妻、妻由香さんの死亡も確認。 日本人死者2人、重軽傷13人となった。(日経10/21) 英日曜紙サンデー・タイムズ紙、USA情報当局機密文書にもとづき、 バシール師が、ウサマ・ビンラーディンの口座から資金提供を受け、 インドネシア国軍から爆発物3トンを購入していた、と報道。(読売) パキスタン、 イスラマバート郊外カラムの日曜市場で爆弾テロ。 ひとり死亡、16人負傷。(朝日) フィリピン、ミンダナオ島カトリック教会近くで爆発。 ひとり死亡、18人負傷。(朝日) 10/21
月タイ中部の政府関連施設で小包爆弾。 通報をうけた警官が開封したとたんに爆発。 警官1人死亡、少なくとも6人負傷。(日経/共同) 現地捜査中のオーストラリア警察当局が発表、 ディスコでは50〜150kgの爆薬「硝酸アンモニウム」が使われたとみられる、 また向かいのパブでも「TNT火薬」1kgによる爆発があったとみられる。 インドネシア当局発表(軍用高性能プラスチック爆弾「C4」による爆発1回) と矛盾。(毎日/共同10/22) 地元警察当局は、 米英豪、日本、ドイツなどから派遣された警察関係者と合同捜査チームを結成し、 容疑者の特定を急いでいるが、有力な手がかりを得るに至っていない模様。 (読売)
合同捜査チームによると、テロに使われた爆弾は、 犠牲者の大半がいた同島クタ地区のディスコ「サリ・クラブ」前の 路上で爆発した1発に加え、 そこから約30メートル離れたディスコ「パディ・クラブ」の建物内でも 1発が爆発していたことが分かった。
爆発はまず、 12日午後11時15分(日本時間13日午前零時15分)に パディ・クラブ内で起き、 続いてサリ・クラブ前の路上に駐車中のワゴン車に仕掛けられた強力な爆弾がさく裂。 犯人が最初に小さな爆発で観光客らを動揺させ、 屋外に出て来たのを見計らってもう1発の爆弾を爆発させ、 死傷者が増えるのを狙った可能性が高い。 日本の市民団体が入手した、 国家情報庁作成の「バリ島爆弾テロ調査報告書」とされる文書によれば、 犯行に使われたのは米セムテックス社製のC4軍用爆薬と、韓国製の起爆装置だった。
捜査チームは、 当初から国際テロ組織アル・カーイダが関与した公算が大きいとして 犯人像の絞り込みを急ぎ、 これまでに67人を事情聴取したが、容疑者の特定には至っていない。
ただ、警察当局者によると事件の直前、 インドネシア人女性が犯行に使われたワゴン車から降りて現場を立ち去った、 との目撃情報を重視し、この女性の行方を追っているという。 事件がイスラム過激派組織の犯行で、この女性の関与が判明すれば、 アル・カーイダとの関連が指摘される過激組織「ジェマア・イスラミア」(JI) 犯行説を補強する材料の一つとなる。 JIは東南アジアを活動場所とするイスラム過激派の中で、 例外的に女性をメンバー入りさせるからだ。
インドネシア当局はさらに、 9月に逮捕したセヤム・レダと名乗るアラブ系ドイツ人男性に 重大な関心を抱いている模様だ。 レダ容疑者のジャカルタの自宅から 爆弾の製造方法を記したテロ教則本などが発見されたことなどから、 当局は同容疑者が アル・カーイダ上級幹部のオマル・アルファルーク容疑者(6月に逮捕)らと連携し、 同国内でテロ活動に従事した疑いを強めている。 警察当局者は本紙に対し、独治安当局の捜査員がレダ容疑者を尋問しており、 近く尋問結果をもとに独当局との捜査会議を開くことを明らかにした。
バリ島の州政府観光局によると、島内のホテルの稼働率は、 事件発生前の11日は70%だったのが、15日には早くも56%に落ち込んだ。 同島を訪れる外国人旅行客も1日あたり3000人以下とテロ前の半分となった。 同国経済の数少ないけん引役と期待されていた観光業が打撃を受けたことで 経済再建の先行きを不安視する声は強まっている。
(読売 2002/10/21)
10/22
火インドネシア最大のイスラム団体「ナフダトゥール・ウラマ」 (NU=イスラム導師連名)のハシム・ムザディ議長、バリ島テロ事件について、 海外テロ組織が計画し、 地元イスラム教徒が全容を知らされずに手伝った可能性に言及。 (毎日 10/23) バリ島テロを強く非難、10/26-27のAPEC首脳会議で声明採択へ (読売 10/23)
<裁判の様子>
2003年8月5日、 インドネシアの首都ジャカルタで 米国系高級ホテル「J.W.マリオット」において爆弾テロが発生した。
テロ実行犯裁判判決前を狙って、ジェマー・イスラミアが実行したと見られている。2003年8月7日、デンパサル地裁は テロの現場リーダーだったアムロジ被告に求刑どおり死刑を言い渡した。
弁護団は控訴する方針を明らかにしたが、 被告本人は判決に従う意向を示しているとのこと。
アムロジ被告はジェマー・イスラミアのメンバーとされ、 逮捕・起訴後も一貫して爆弾テロの正当性を主張してきた。2004年1月6日、インドネシア最高裁は、 1、2審で死刑判決を受けたアムロジ被告の上告を退け、 同被告の死刑が確定した。
アムロジ被告は、公判で 「西洋人をたくさん殺せて満足だ」などと語り、 終始笑みを絶やさず、 「笑う爆弾犯」の異名をとっていた。(読売2004/1/7)
バリ島の治安
快適にバリですごすために、 あえて、耳に心地好くないことも書きました。
●バリ島の治安 一般論
世界的に見た場合、 バリ島は比較的治安のいい部類にはいる地域だと思います。 少なくとも、深夜の東京新宿歌舞伎町よりは、確率的に安全です。
しかし、日本一般に比べると、 日本人にとっては、安全とは言い難い場面も増えてきています。 確かに、最近ビーチを中心とした治安の悪化には、 安穏としていられない人も少なくないでしょう。 ( 毎日新聞2002.3.21 online/ 日経新聞2002.4.3夕刊)。
また、以下に述べるようなバリ島特有の事情もあります。
スキをみせないように、お気をつけ下さい。
というのも、バリ島の人は、 面とむかったときに日本人が感じるような良い人ばかりではないからです。 といっても悪い人でもない。 単純な性善説や性悪説では整理できないようです。
彼らはやっぱりとても良い人たちです。 いつもにこにこしていて、こちらの要求になんでも答えてくれます。 そうでないとあの厳格な共同体の中ではくらしていけないのでしょう。
その一方、必ずとても攻撃的なあるいはずるい面をもっています。 そうでないと共同体を侵す者に有効に対抗できないわけでしょう。
おそらく彼らにとって、そのどちらも完全な善でも完全な悪でもないのでしょう。 必要に応じて発現される行動のオプションと考えられます。
そういう文化をもった地に好き好んで行っているわけですから、 被害をうけた方に原因がある、 という側面もありうることを理解しておく必要があります。
信頼を裏切られた、と悔しがったり、恨んだりする前に、 お気をつけ下さい。
その地に居住せず、共同体の一員でない私たち観光客は、 どんなに親しくなったとしても、 彼らにとって、部外者にすぎないことを、 忘れてはいけません。
自分は例外だ、あの家族はこんなによくしてくれる、 家族の一員だと言ってくれる、 と誰しも思います。
例外だと感じる自分がいるなら、 なおのこと、 節度ある距離をおく冷静さを常にたもつように心掛けるほうが安全です。
その気もちが甘えとスキを生んでいるかもしれません。 古来、言われてきましたように、「親しき仲にも礼儀あり」
くりかえしますが、 あなたは、バンジャル(共同体)の一員ではないのです。
●両替時の注意
物価と貨幣価値のページ参照
●性犯罪
このところ、日本人女性をターゲットにした性犯罪がふえているようです。
そうしたことを目的に遊びに行く日本人女性が実際に存在していることもあり、 被害にあっても泣き寝入りする例が多いらしいこともあり、 日本人女性はなめられているところがあります。
この人は親切だから大丈夫、と気を許していると、 いつのまにか逃れようのない状況に追い込まれてしまっていることもあります。
この人はよく知っている信頼のおける人、 と安心して一緒にグループ行動していると、 彼の友だちに襲われるめにあい、 しかも彼には見てみぬふりされるということもあります。 すぐに帰ってしまう観光客と、毎日顔をあわせる隣人と、 どちらとの人間関係を選ぶのが自然だと思いますか?
じゅうぶんにお気をつけください。
●クレジットカード詐欺
名前の通った店だからといって、盲信しないようにしてください。
控えのシートは必ずうけとりましょう。 帰国後、身に覚えのない請求がきたときに反証資料になります。
●警官は正義の味方とはかぎらない
最近とみに評判をおとしてはいるものの、 日本の警官は世界的に見ると、とてもモラルが高いようです。 それと同じような気分でバリ島で警察に頼ると痛い目をみることがあります。
面倒なことになるのがいやなので、 私は、極力警官とは関わりあいにならないように気をつけています。
●賄賂は世間の潤滑油
税関などの空港の係官や、警官などの公務員には、 上手に袖の下を贈ってあげるのが世渡りの技術かつ礼儀のようです。 こちらに非があろうとなかろうと、彼らの側に権力があるので、 彼らにカモと見込まれたら絶対逃れられません。 日本では絶対やりたくないことですが、 ここは郷に入っては郷にしたがうのが賢明と思われます。
要求どおり払うのもしゃくにさわるので、 サイフは別のカバンにはいっていて今手持ちはこれだけしかない、 とかいって、ポケットをひっくりかえしてなにがしかの札を渡すと、 これまでのところは解放してくれています。
●麻薬には絶対に手をださないように
ビーチ近辺の裏通りとかでは、 麻薬はいらないか、と声をかけてくるのがよくいるとききます。 インドネシアでは所持しているだけで外国人も罪になりますから、 絶対手をださないようにしてください。 発覚すると(オトリ捜査がないとはいえない)、逮捕・投獄され、 そう簡単には日本に帰れなくなります。
1998-1999 政治不安概況
1998年から1999年までインドネシア共和国では政治不安が続いていました。 もちろん、まださまざまな不安要因は残っているようですが、 1999年秋の大統領選挙で一段落しています。
また、バリ島は、 1998年5月以来ニュースなどでしばしば放映されていたジャカルタ(ジャワ島) などとは情勢が異なり、ほぼ平穏無事の状態がつづいていたようです。
どうやら、バリ島はインドネシアの他の地域とは別だった、 と考えてもよいと思われます。
しかし、大統領選挙でメガワティ女史が落選した日(1999年10月20日)は、 国民協議会第一党の党首が大統領にならないのは理不尽だ、 とデンパサールやシンガラジャなどで暴動に近い状態に陥ったともききます。 店舗や車両が破壊されたりし、 観光客はホテルからでないように勧告されたそうです。
(もっとも、そんなときでもウブドゥは平穏でした)
その騒ぎも、メガワティ女史の副大統領就任が決まり、鎮静化しました。
その後、ふたたび、そうした危険のないバリ島にもどりました。
初めての民主的な大統領選も無事終わり、 有力者の多くを与党にむかえたワヒド政権がつくられました。
1998年9月7日に、外務省が発表している 海外危険情報の危険度がひきさげられ、 インドネシアの他の地域ときりはなして、 バリ島についての勧告が解除(つまり、安全、と考えられる)されました。
なお、1998年6月には、 他の地域にさきだちバリ島だけ「危険度2」から「危険度1」にひきさげられ ていました。 その裏には以下のような事情があった、という噂があります。旅行雑誌 AB-ROAD は、極端なバリ島敬遠の世情に、あわてて1998年8月号で緊 急特集を組み、バリ島の安全を強調しています。
「観光旅行延期勧告」(危険度2)がでていると、旅行会社の企画ツアーは中 止にせざるをえないらしい。そこで、バリ島は安全なので、バリ島だけ特別に 危険度をさげてください、と旅行会社らが外務省に要請し、それをうけて、バ リ島だけ「注意喚起」(危険度1)になった。とのことです。
1998年5月の騒乱以来、私の知人が何人もバリ島を訪れていますが、危険な目に あったという話はきいていません。 私自身、1999年1月に、 そして、2000年1月、5月と、 バリでの生活をいつものように楽しませてもらいました。
ただし、 1998年10月に行なわれたメガワティ派の集会>や、 メガワティ女史の大統領選落選直後(1999年10月)に かなり過激な政治運動があったともきいています。
今でも、観光に訪れるだけの人は、まきこまれないように、 政治的ととられかねない言動はつつしむほうが安全と思います。
元大統領の取り調べが行われたり、軍の元実力者が失脚したりなど、 いろいろと不穏に感じられることもありますが、 これは、むしろ、そうした過去の権力構造を見直すだけの政権の実力と 状況とがではじめているのだ、と考えれば、安心材料です。
※2001年夏追記
ワヒド大統領が辞任し、メガワティ第五代大統領が誕生する過程で、 再び治安の悪化をあやぶむ声もありましたが、 ジャカルタにおいてもそれほどの大事にいたらずに、 事態は終息しました。
●メガワティ派集会の影響 in 1998.10
サヌールのグランド・バリ・ビーチホテルにおいて、 インドネシア共和国メガワティ派民主党の党大会が、 1998年10月8日〜10日に行なわれました。
バリ島での支持率が高いらしく (メガワティ女史の親戚がバリ島出身という情報もあります)、 会期前からたいへんなもりあがりを見せたようです。 支持を表明するのに、赤い旗や帽子を使うことがはやったため、 サヌールやデンパサールは赤一色にそまったような印象だったそうです。 暴走族まがいの示威運動もあり、まきこまれると、不愉快、かつ、 かなり危険な目をみることになりかねない状況だったようです。
一時期は、暴動の危険もあるのではないか、 と外務省からお知らせがでたりもしましたが、 結局そういった問題は発生しなかったとききます。
治安の維持が観光業の死活問題となることを、 1998年5月の騒乱以来、多くのバリ人がよくこころえていたためではないか、 との観測があります。
で。その頃のウブドゥはどうだったかというと、 平穏無事ないつものウブドゥだったようです。
●私の印象 in 1999.1
1999年1月にバリ島を訪れた時の印象です。
なにごともなく、いつものバリ島でした。 ただ、水牛をえがいた赤い旗(メガワティ派の象徴)が街道筋にめだちました。 子供もまじって、せっせと運動拠点の準備をしているのもみかけました。
何人かから話を聞いた感触では、 30年ぶりに何かを選択できる、という状況に興奮していながらも、 何をしていいのかわからない、という混乱状態にあるように思えました。
貧乏人の味方だからメガワティを応援する、という声をよく聞きました。 なかには、そのままバリ島独立だ、なんてことを考えている人もいたようです。
なんにせよ、上手に着陸してほしいと願っています。
バリ島では、長い歴史に裏うちされた伝統ある文化が今でも生きています。 彼らはきっと、 そのなかで培われた知恵を活かしてうまい解決をみつけてくれる、 と期待しています。
(追記) 2000年現在、みごとに着陸しています。さすがですね。